放課後(NO.675)

 冬休みに司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読破した。久しぶりに大著を読み切り達成感を味わったが、同時に司馬の歴史観に違和感を覚え、その後も明治を扱った種々の歴史書や歴史研究書を読んできた。


 司馬は、日露戦争以降、日本の軍部・国家は迷走し、それが後の侵略戦争を引き起こしたのであり、日清・日露戦争当時の日本は、侵略的意図も政策も持ち合わせず、純粋に日本の発展・防衛を考えて行動したというスタンスでこの大著を描いている。事実としての朝鮮半島における日本の支配は、「やむなし」「事後的」というとらえ方である。
 しかし、史実はまったく逆で、日清戦争以前から日本の朝鮮半島植民地化の意図と動きは明白であった。一八九四年の朝鮮王宮占領や東学党の乱での皆殺し作戦、朝鮮王妃殺害事件、日露戦争開始前の韓国占領など、枚挙にいとまがないほどである。司馬はこうした史実に一切ふれようとしない。
 日韓併合百周年という年に、NHKの大河ドラマにもなった本書を、無批判に楽しむことはできない。
(K・I)

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