先日、「子どもと学校教育を考えるシンポジウム」が市内で開かれた。学期末の成績処理に追われる中での参加は気が重いものだったが行ってよかったと思える集会だった。
一つは、先輩の先生たちの懐かしい顔を拝見できたことだ。教職を離れてもそれぞれの地域や団体で子どもたちの幸せを願って活躍されている姿に元気をいただいた。
アーカイブ: 子供たちのこと
放課後(NO.699)
「よりよい教員採用を求める会」をご存じだろうか。
一九九六年の発足から、教員採用試験に関する情報公開を京都市・京都府に対して求めてきた京都の市民団体である。
放課後(NO.697)
「やっぱり三〇人学級は良かったね」と、昨年度中三で今年度中一を担任している先生たちの会話。
昨年度中三は一クラス二十六人、今年度中一で一クラス三十九人。この違いはほんとに重い。
放課後(NO.694)
東日本大震災が発生して、一カ月が経過しました。未曾有の被害にこころが痛みます。
亡くなったり、行方不明の子どもたちは千人を超え、命がけで子どもを救おうとして命を落とした教職員の話も伝わってきています。そんな困難な中でもやっぱり励みになるのが子どもたちの姿です。
放課後(NO.693)
東日本大震災の被災状況は、自然の猛威をまざまざと見せつけた。しかし、同時発生した原発事故は明らかに人災である。大地震で原発も何らかの損傷は免れないだろう。だが、そんな時のための緊急炉心冷却装置のはずだ。それが作動せず炉心溶融を招いた事実をどう考えるべきか。電力各社も政府も、この非常用電源があるから安全だと説明してきたはずだ。想定外ではすまされない。
放課後(NO.692)
私ごとで申し訳ないが、先日、誕生日を迎えた。五十を過ぎての誕生日など、何の感慨もないのだが、今年の誕生日は少し違った。
育成学級の子どもから、心のこもった手紙をもらったのだ。
放課後(NO.691)
昨年、教室に五十インチの液晶テレビが設置された。
ところで、かつて、学校には、普通の家庭にはない色々な機器があった。ピアノや十六ミリ映写機。これらの機器は音楽室や視聴覚室など特別な場所にあり、こうした機器を使った授業は特別な思いや楽しみがあった。
放課後(NO.690)
マイケル=サンデル教授の白熱教室を観て「正義」を考えた。
ボクシングなどは、体格の大きく違う者が戦って順位を競うのは不公正であるから級別になっている。
放課後(NO.688)
ボーナスの明細を見て「わー、減ってる!」と、管理職も含めて怒りの声。
超過勤務縮減の教育長通達が、昨年度に引き続き今年度初めに出てはいるものの、仕事量が減っているという実感を持てません。
放課後(NO.687)
組合員のみなさん、お元気ですか。私は、今、学校へ行くのが楽しくてなりません。学校は忙しいですよ。生徒指導が大変で、ゆっくり椅子に座ることもできません。子どもによる暴言・暴力は枚挙に暇がありません。荒れまくる姿。「おはよう!」と挨拶をしても、冷笑で返す子どもたちに、茫然自失の半年。