京都市政の歪んだ同和行政・同和教育と京都市教組のたたかい

主な出来事 市長の経歴
1960年代 1963年 中学校教職員組合が市教委の「進学ホール」に反対する見解を発表。 1963年教育委員会に勤務
1964年 市教委が「学力向上至上方針」(教育の全分野で同和地区児童・生徒の学力向上を至上目的とした実践を推進する)というものを発表。
同和教育の特殊化、地区児童・生徒とその他の児童・生徒を分離する教育へ。この方針はその後40年近く引き継がれています。
1965年 「進学ホール」に反対する組合員を配転強要。
1967年 下鴨中学校の教育条件の改善を求める発言を、「差別発言」とでっち上げ、「解同」朝田派の差別糾弾闘争が始まる。1968年には白昼に「解同」朝田派が下鴨中に乱入し、教員に暴行。市教委は分会役員など7名を小学校を含む他の学校へ強制配転。
1970年代 1970年 「解同」が部落問題夏期講座を襲撃。
1973年 狭山問題をめぐって「解同」が教育会館襲撃。
1974年 兵庫県で、八鹿高校事件発生。「解同」による白昼の教職員へのリンチ事件(58人が重軽傷)、犯人は有罪確定。
1975年 「橋のない川」上映運動に「解同」「暴力学生」などが乱入。
国民融合をめざす部落問題全国会議を結成。
1976年 狭山闘争で「解同」が同盟休校、全校学習会などを学校に持ち込み、学校教育に介入。市教組は反撃のビラ配布。
1980年代 1980年 朱雀中で文集の記事をめぐって「解同」が教員に対し確認糾弾会を強行。
市教委が同和主任の任命制を強行。
1983年 鳥居事件、改良事業の用地買収で3億円不正支出、元改良室長逮捕(鳥居事件)。
1985年 架空「接待」事件で浮かせた税金を同和対策の飲食費に流用していたことが発覚。
1986年 公金詐取事件・暴力団組長宅の不正買収で市職員逮捕。 1988年教育次長就任
1989年 市教組「同和白書」を発行し、歪んだ同和行政の是正を提言。
同和校への教職員加配の是正や保護者啓発、一面的な同和研修、同和教育の特殊化などの是正を要求。
1990年代 1991年 市教組が「『法』以後の同和教育の見取り図」と題した討議資料を発行し、職場論議を呼びかける。
「教育と自治、人権を守る市民大運動実行委員会」を結成し、京都市職労、全解連などとともに市民運動を開始。
1992年教育長就任
1993年 京都市長選挙で井上吉郎さんを先頭に同和行政・同和教育の是正を求めて運動を展開。
1996年 同和行政の終結を求めて京都市長選挙に取り組む。
京都市議会で「同和行政の終結を求める決議」を全会一致で採択。
1997年 「同和行政の終結をめざす3・30市民集会」を崇仁体育館と隣接する河川敷で開催し、2,500人が参加 。
3月31日をもって、同和対策の特別措置法が期限切れ。
1996年市長に就任
2000年代 2002年 京都市が「特別施策としての同和対策事業の終結とその後の取り組み」を発表。2002年3月31日で同和行政を終結としながら、「同和地区児童・生徒の学力向上、進路保障、同和教育の推進」などを明記し、同和奨学金を継続。
市教組「やめよう同和教育・同和啓発」の学習会開催。
2000年2期目市長に就任
2003年 「解同」の支部が研修名目の温泉旅行に補助金支出、市教組として民主団体とともに市議会請願・署名運動、「真相究明をめざす市民集会」開催。
2006年 京都市職員の一連の不祥事発覚。 2004年3期目市長に就任