同和行政・同和教育…40年のゆがみが次々と

解放運動の分裂を利用した市教委

 戦後の民主運動の高揚の中で、教職員組合は部落解放運動と連携をし、高校全入運動、就職差別反対、勤務評定反対、安保闘争など多くの運動に取り組んできました。

 ところが一九六〇年代に入り、部落解放同盟(以下「解同」)が「部落民以外は差別者」とする部落排外主義の方針のもとに、意見を異にする個人・団体に対して「糾弾」と称して暴力的攻撃を加えてきました。

 こうした運動の分裂に乗じて、京都市教委は、「解同」の方針に沿った行政施策を推進し、一九六四年に同和地区児童・生徒の「学力向上」至上主義方針を打ち出すとともに、同和問題を使った教職員管理を強化してきました。同時に、「解同」や市教委の同和方針に反対する組合員を同和校から徹底的に排除する一方で、同和校勤務者を管理職に優先的に登用するなど、差別的な人事行政を行ってきました。こうして現在まで、「解同」言いなりの「同和」特別扱いの教育行政をすすめてきました。その結果、学校現場では、「同和問題」について「物言えぬ」雰囲気が醸成されるとともに、「言っても改善されない」などの声が出されています。また、「同和」選考採用による学校職員を「特別扱い」するような、市教委や管理職の対応についても不信の声が広がっています。

 市教組はこれらの「学力向上」方針と「施策漬け」が、同和地区児童・生徒の発達を歪め、自立を妨げること、学校教育の正常な運営を歪めていることを指摘し、市教委の同和教育方針に一貫して反対をしてきました。そして、すべての子どもの成長と発達、民主教育の推進と正常な学校運営を求めて、多くの民主団体と共同して市民的な運動をすすめてきました。

同和行政の転換を求め市長選挙で奮闘

 京都市教組は一九九三年の市長選挙以降の四回の市長選挙で、同和行政・教育の是正、終結を大きな争点として、教職員・父母・市民に訴えてきました。同和校優先の教員配置で、数十校が府の教員配置基準を下回る「先生の足りない学校」であることを明らかにし、その是正を実現してきました。また、今回の不祥事の温床となってきた選考採用の弊害についても、事実を示し、その是正を求めてきました。