東日本大震災復興ボランティア

699-1-2.jpg厳しすぎる現実と見えない明日。多くの人に伝え、復興の輪を
八月一日~五日に全教などが行う東日本大震災の復興ボランティアに、京都市内の教職員と家族、総勢十八人が参加しました。多くのことを知り、学び、考えさせられる五日間となりました。


仙台市の学校は
八月一日の夜の夜行バスに乗り、二日の朝、仙台に到着しました。二日の午後は、仙台市教職員組合の方の三台の車に分乗し、学校の被災状況を見て、当時の学校の様子などの聞き取り調査を行いました。
視察した三つの小学校は、仙台市の沿岸部の学校で、大きな被害を受け、現在も使用されていません。
海が近い荒浜小学校では、周囲の家はほとんどが押し流され、その様子を子どもたちは学校から見ていたそうです。体育館の床は大きくねじ曲がり、校舎も一階は津波による汚泥で、壊滅的な状況です。実際、被災した学校の片づけなどは、間借りしている学校での教育活動が優先されるため、ほとんど手つかずの状況でした。
深刻なのは、地域住民が、元の場所に戻ってこられる展望はなく、学校そのものが存続されるかも定かではないことだそうです。
699-1-3.jpg最大被害の石巻の惨状
三日は早朝にホテルを出発し、JRで今回の震災で最も大きな被害を受けた石巻へと向かいました。石巻は、死者・行方不明者を併せると四〇〇〇人に達し、町の大部分が水没したところです。
駅でバス五台に分乗し、総勢二五〇人で、火災で壊滅的になっている市内の門脇小学校近くの墓地の清掃を行いました。
本当にどこから手をつけたらいいのかとまどうほどの惨状です。墓石は倒れ、その間にがれきや汚泥が積み重なり、元の状況は全く想像できません。お骨なども埋まっているため、重機の使用はできず、すべてが手作業で行われました。作業の途中で一体のご遺体が発見されるなど、衝撃的な出来事が次々と起こりました。
昼休みには、津波が押し寄せてきたとき多くの子どもや住民が難を逃れた高台に登り、石巻の災害対策連絡会の事務局長に当時の様子をうかがいました。
当時、高台から見るとほとんどの場所が水没し、雪が降るような寒い中、三日間も孤立状態にあったそうです。
699-1-4.jpg間一髪で難逃れる
八月四日は、日本三景の一つでもある松島の近くの農業法人で、苗箱の清掃作業を行いました。汚泥まみれの箱から、まず泥を落とし、それをひとつずつ水洗いする作業です。約九十人で、合計七五〇〇箱の清掃を行い、地域のみなさんに大変感謝されました。
その後、東松島市立浜市小の被災当時の状況をお聞きしました。その小学校では幸いにして、人的な被害はありませんでしたが、津波から間一髪で学校に逃げ込んだ消防団の方の話や、学校の三階の一つの部屋に約三〇〇人の子どもや地域の住民が一夜を過ごしたりした、大変な状況が報告されました。
ボランティアに参加して、現地は、復興とはほど遠いことを実感しました。そして、三月十一日の避難にあたっても、今後の復興にあたっても学校と教職員の大きな役割と責任を痛感させられました。
参加者の感想
○災害時や緊急時に、子どものいのちを守るために、学校や教職員がしなければならないことを考えさせられました。今できることは、この思いをひとりでもたくさんの人に伝えることと思っています。
○現地の方がおっしゃた「見に来て下さるだけでも結構です。目で見て、臭いを感じて下さることがありがたいです」との言葉が印象に残っています。