福島を忘れない! 京都のお米を被災地へ

734-1-1.jpg有志の呼びかけで、19名が福島へ
 八月五日〜九日、宕陰小分会の馬越さんをはじめ三名の有志の呼びかけで福島県南相馬へ、十九人(市教組現職・OB)がボランティア活動に参加しました。京都の農民や教職員から寄せられたお米(一トン)と水(カンパで購入)を仮設住宅などに届けました。


参加者は四日の夜行バスで京都を出発。五日の早朝、福島駅に到着し、レンタカーで、南相馬市へ向かいました。一見、今までと変わらなく見える山々。しかし、山間部では今まで耕作していただろう田畑が、雑草だらけになっている地域が長く続きました。
734-1-2.jpgその後、福島県立高教組双相支部山本支部長の案内で、学校のグラウンドに建てられた仮設住宅の見学や、たくさんの子どもたちが離ればなれになり、他の学校の教室や体育館で学んでいる様子を聞きました。そして、この四月まで立ち入ることができなかった浪江町に入っていきました。今でも、あの三月十一日にタイムスリップしたように、壊れた家や車などが放置された状況でした。福島第一原発から五〜六キロのところにある請戸小学校も、荒れ放題のままでした。その後、訪問した山間部の牧場では、牛乳も肉も販売することはできない状況にもかかわらず、近隣の農家の牛を預かり育てられていました。その牧場は、今回訪問した中で放射線量が最も高く一・四マイクロシーベルトを超えていました。
二日目から四日目は、鹿島地域の仮設住宅に、京都の農家から集めたお米を届ける活動を行ないました。最初は、「突然京都から訪ねてきた私たちのことをどんなふうに受け止められるのか」不安でした。しかし、仮設住宅にお住まいの方は、丁寧に、そして親切に話をして下さり、とてもお米を喜ばれました。昼間は、一時帰宅できますが、住むことはできない小高地域から避難されてきておられる方々の、「家を片づけに行っても、水もでなければ、ゴミの処理もできない。することがないんや」という言葉が印象的でした。約三〇〇軒を訪問し米を届けるとともに、ボランティアセンターに水を購入するためのカンパをお届けしました。
また、二日目の夜には、南相馬の小学校教員の話を伺い、交流しました。宿泊した農家民宿のご主人は、「同じ家に住んでいて、若い夫婦や子どもは、水道水は絶対に飲まないし、地元で収穫したものは食べない」と言われました。「政府や行政が安全と言っても信用する者はいない」と語られました。
福島は、全く復興の目途がたっていません。「福島を忘れず」、継続的な支援活動の必要性が痛感させられたボランティア活動でした。