いのちが大切にされる教育・社会を

執行委員長 得丸 浩一得丸1面あいさつ(トリミング)DSC_0194.jpg
一枚の写真のことを思い出しています。「9条の会」呼びかけ人のお一人であった加藤周一さんが語っておられた写真です。


一九六八年、アメリカでの学生運動。ケント州立大学に、学生運動を押さえつけるために州の兵士が武装してずらりと並んでいます。その前に、女学生が一人座っていて、バラの花を持って差し出している。そんな写真です。女性のバラは、武力とは正反対のもので、武力の観点から言えば無力です。州の兵士は、暴力そのものです。加藤周一さんはこう書いておられました。「傍観者は、その圧倒的な力の差を傍観することによって、州兵の力の優位を肯定することになる。私は州兵の側には立たない。女学生の側に立つ。なにができるかわからないけれど、州兵の側には立たない」と。
どうにもきな臭いのです。「秘密保護法」「共謀罪」「軍事費の膨張」「教科書検定基準の見直し」「NHKの変質」「韓国軍への銃弾提供」「集団的自衛権」…そして憲法改悪の企み。
新任から三年目。初めて卒業生を送り出す卒業式の直前でした。京都新聞に、ある児童文学者の「『君が代』のこと」という文が掲載されました。
「太平洋戦争、日の丸の下で、なおさらにこの『君が代』をうたいつづけました。そして、陛下の軍隊、皇軍の武運長久を祈りました。歌って祈っているうちに、終戦時、私もまた十八歳で皇軍の兵隊になっていました。わらなわで剣をさげて、弾丸のない銃をもたされて、そんなはずではなかったのに、『お馬』のあとからついていったのでした。」
いつかそんなに遠くない日、「そんなはずではなかったのに」と言うわけにはいきません。
昨年の四月から二桁の青年教職員が京都市教組に加入しています。さらに新しい仲間を迎え、いのちが大切にされる教育と社会を創るために、「州兵の側には立たない」決意を固める新年です。